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    カテゴリ: 有吉弘行


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    60キロバイト (9,137 語) - 2020年3月15日 (日) 09:05



    (出典 static.smalljoys.me)


    あんなにがんばってたのにねー

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/03/16(月) 20:41:08 ID:uNIRmpr29.net

    お笑いタレント、有吉弘行(45)のインスタグラムが世間をにぎわしている。かつてのコンビ「猿岩石」が取り沙汰されているのだ。伝説のコンビ、アンタッチャブルが10年ぶりに再活動を始めたこともあり、猿岩石の復活を期待する声もあるようだが…。

    注目の投稿は今月4日。藤田ニコルと田中みな実の話題から、自身が若いころに出した写真集について言及。

    キメ顔のモノクロの写真とともに、《ちなみに俺だって写真集出したことあるからな。めちゃくちゃ気持ち悪くて後悔してるからな。だけど若い時は後悔するような事もやっとくべきだ、年取った時に後輩から気持ち悪いと言ってもらえるから!》とつづっている。

    「この写真が猿岩石時代に出した写真集のものだったことから、再びネット上で猿岩石への関心が高まりました」と芸能サイト編集者。

    猿岩石は有吉がかつて組んでいたコンビ。『進め!電波少年』のヒッチハイク企画をきっかけに、CDを出すほど大ブレークしたが、その後解散。相方の森脇和成は一時引退していたが5年前に芸能界復帰している。

    「森脇は解散前後から飲食店を経営したり、営業マンになったりと職を転々としています。芸能界復帰後もこれといった結果を出すことなく、ユーチューバーに転身するなどフリーで活動しています」と週刊誌記者。

    いまや有吉が森脇について言及することもなく、完全に没交渉状態という。

    「アンタッチャブルが10年ぶりに感動的な活動再開を果たしたことで、猿岩石も…という声もちらほらありますが、有吉が首を縦に振ることはないでしょう」と演芸関係者。さらに続ける。

    「アンタッチャブルとは絶対的に違う点があります。それは相方への尊敬があるかどうかということです」

    どういうことか。

    「アンタッチャブルは柴田英嗣が自力で再び表舞台に返り咲きました。東京03の飯塚悟志は『ゴッドタン』(テレビ東京系)で、ザキヤマが酒席で『やっぱり柴田はすごい』と話したと明かしましたが、互いがそれぞれを認め合っているのです」と先の演芸関係者。

    「有吉は森脇の行き当たりばったりな取り組み方に否定的です。自身が苦労して表舞台に戻ってきただけに、芸能界は甘くないと考えています。『猿岩石』の看板でおいしい思いをするのは認めないでしょう」とも。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200316-00000003-ykf-ent
    3/16(月) 16:56配信


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    有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年5月31日 - )は、日本のお笑い芸人、司会者。広島県安芸郡熊野町中溝出身。身長172cm。体重62kg。太田プロダクション所属。 1992年12月、まだ高校に在学中の有吉は『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入り
    59キロバイト (8,869 語) - 2019年7月3日 (水) 04:34



    (出典 contents.oricon.co.jp)


    頑張って戻りましたね!

    1 muffin ★ :2019/07/07(日) 13:17:10.98 ID:8uJGNEm79.net

    https://news.livedoor.com/topics/detail/16735789/

    1992年にスタートし、平成を代表する伝説的番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)は、猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクをはじめ、数多くの人気企画を生み出した。その演出・プロデューサーを務めたのがT部長こと土屋敏男(62)だ。

    元猿岩石の有吉弘行(45)は、いまや何本も番組MCを務める、超売れっ子芸人だ。そこで、当時の有吉はどんな芸人だったのか、土屋プロデューサーに聞いた。

    ――ユーラシア大陸横断ヒッチハイク当時(1996年)の有吉弘行さんの、芸人としての能力はどう感じてましたか?

    土屋 ゼロ。ゼロですよ。

    ――そうなんですか?

    土屋 ただスケジュールが空いてたってだけだからね。

    ――ではヒッチハイクが始まってからの有吉さんの印象は?

    土屋 ヒッチハイクは視聴者から愛されるようにしないといけないから。VTRの編集のときに「態度悪いな」と思ったところを、全部編集で切らないといけないから、「めんどくせーな」と思ってました。だから今のキャラは、その当時からありましたよ。

    ――毒舌キャラは、ヒッチハイクの旅にはいらなかったんですね。

    土屋 そうそう。最初は使えるところが少なくて。たばこを吸いながらヒッチハイクしてるし。でもそのうち、愚痴も出なくなったね。

     本当に食えないから、食えるためだったら、丸坊主だろうが何だろうがやる状態になってくると、だんだんピュアな、きれいな目になってきて。態度もよくなってきたから、使うところも増えました(笑)。

    ――どのあたりで有吉さんの面白さに気づきましたか?

    土屋 いや、最後まで気がつかなかったです。ヒッチハイクから帰って来て、西武球場で単独ライブをやったんですよ。それが面白くなくて、お客さん全員が帰ったからね。それから1年間いろんなテレビに出たけど、結果を残せなくて。どんどんテレビの仕事がなくなって、歌も売れなくなって、その後、3年間仕事がゼロだから。

    ――そういう時期があったって、ご本人も言ってましたね。

    土屋 そこから『内村プロデュース』(テレビ朝日系)のネコ男爵というキャラで出てきて。そこは俺は関係ないから、だから有吉には恨まれてるの。

    ――有吉さんが再ブレークしてから共演されてますよね。

    土屋 俺のあだ名をつけるっていうので。「出たがり豚野郎」だったかな。

    ――土屋さんの前で言いづらいですが、有吉さん、さすがですね(笑)。有吉さんは人気が落ちたときに、土屋さんが助けてくれなくて恨んでるような発言をしてませんでしたか?

    土屋 そうそう。ヒッチハイクに行かせたことを恨んでるんじゃなくて、人気が落ちた後に、なんの援助もしなかったことを恨んでるんですよ。そんなの知らないよね。

     西武球場で別れたときに「お前らは今面白くないから、このまま売れるってことは絶対にないよ。お前らが本当にお笑い芸人になりたくて続けていたら、10年後に会おう」って言ったんだから。

    ――10年後と言えば、くしくも有吉さんが『アメトーーク!』
    (テレビ朝日系)で品川(祐)さんのことを「おしゃべりクソ野郎」と呼び、再ブレークのきっかけになった時期ですよ。

    土屋 また這い上がって来て、一個一個の仕事をすごい丁寧にやるようになったわけじゃない。それで今の位置になった。それはすごいなと。

     なんですごいかっていうと、俺は有吉を上の位置まで持っていったわけじゃない。でも底に落ちて、ツラいわけですよ。ずっと売れない奴は底にいてもツラくないわけ。有吉は一回上に行ったからツラいわけ。

     一回上に行った経験がなければ、落ちたときに頑張んない。俺が上まで持っていったから、また上まで行けたということを、有吉はわかってない。だから、まだまだだよ(笑)。

    ――今の有吉さんがあるのは土屋さんのおかげということですね(笑)。

    土屋 まぁね(笑)。


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